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バリの祈り01

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強い日差しが照りつけていた。暑かった。汗が噴き出し、自分が発する熱気でファインダーが曇った。
旅の終着地。最後のカットを撮り終えて、僕は空を眺めた。

2005年、僕は4度目となるインドネシア・バリ島への旅をしていた。まるで何者かに導かれるように、海辺のリゾートを抜け出し、彷徨っていた。道々、町があれば町に寄り、寺院があれば寺院に寄った。
バリ島は、神々が棲む島と呼ばれる。身の回りにたくさんの精霊がいると信じられている。少し歩けば寺院に突き当たる。岩を削り積み上げつくられた独特の様式で、歴史も古く、山の方へ行けば南国特有の木々が暴れるように覆い尽くす様にも出会う。観光名所とは全く別の凛とした空気が支配してる。

街中では、“チャナン”という小さなお供えが置かれている。店の前、車の中、ありとあらゆるところにある。摘んだばかりの生花、その色鮮やかな花びらが、バナナの葉などを編み込んだ皿の上にちりばめられる。独特の香りもある。身近にいる精霊たちへの祈りと感謝の印。 悪い精霊であるとしても、悪さをしないでね、と。チャナンをお供えする女性の姿もあちこちでよく目にした。その姿は美しく、とても印象深く僕の目に映った。
そんなフラフラとあてのない旅路を続けながら、僕はある小さな村にたどり着く。そこは、昔ながらの生活習慣を守る村。一部に電気が通ったばかりの古い田舎の村であった。畑を耕す者、竹細工をする者、カカオを採取する者、ほとんどの人が民族衣装を身にまとっている。素朴な暮らしぶり、楽しそうな人々の笑顔、僕は全てにカメラを向けた。いろいろな人と話をした。一緒に村の寺院に出かけたりもした。

人々は、拝むときに手を頭の上に持ち上げなら手を合わせていた。聞けば聖なる山「アグン山」への祈りだそうだ。バリ・ヒンズーの聖地、大いなる山「アグン」。次に胸の前で手を合わせ、寺院にいらっしゃる神々に祈る。お前のこともお祈りしたよと、僕の頭に花びらをかけてくれたおばぁさん。僕も見よう見まねながら祈りを捧げた。
人々の暮らしの中にとけ込む、人間と目に見えぬ精霊との関係性。思えばこれは何も特別なことではなく、僕が暮らすこの日本にあっても同じである。年神様がやってくるお正月、鬼は外とやる節分、山にも木にも川にも海にも、八百万の神々があらゆるものに宿っている。
ふと、気がついた。彷徨う旅の道案内は、バリ島の大いなる力「アグン」なのではないか。直感的にそう思った。足をのばせば、アグン山を望む最高位の寺院ブサキがある。頑張れば限られた時間の中でたどり着けるであろう。その場所をこの旅の終着地としようと決めた。

海沿いのリゾート地という混沌とした場所を「俗」とすれば、アグン山やブサキ寺院は「聖」であろう。僕の旅は、「俗」から「聖」に向かう旅であったと言ってもいいのではないだろうか。両者は、決して相対するものではない。渾然一体となった、どちらもあって世界なのだと思う。バリ島に降り注ぐ強い太陽の光と、強い日差しによってできる影は、両者が一体であるという事を象徴している。

僕は汗を拭きながら、終着地である寺院の長い石段を登った。遠くに見えるアグンを眺め、次に振り返り、眼下に広がる平地を見渡した。
太陽は真上にあり、石段の照り返しも強い。目を細め、僕はゆっくりと腰を下ろした。日差しが容赦なく照りつける暑い暑い日であった。真っ青な空に、白い雲がぽかりと浮かんでいた。

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