写真家・森谷修ができるまで 経歴1

mhpmw162

大学を出て東北新社という会社に入った。
映像を中心として関連する様々な分野を手がける会社だった。
中でもCM製作部門は、業界の1位2位を競う存在で、
バブル期に突入するタイミングだったため、活気にみち実に魅力的な存在だった。
僕はそのCM本部の中「撮影部」に所属する。
 
CM撮影は映画と同じ35ミリフィルムを使って撮影された。
ミッチェルやアリフレックスなど、それまでは存在すら知らなかった映画カメラ(鋳物のかたまりでずっしり!)を使う。
それゆえ、しっかりとした機材整備や扱い方まで機材部で修行をし、現場デビューという流れとなる。
 
この機材部というのは、鬼軍曹みたいな人がいて、なかなか大変な修行場であった。
こちらは知らない事ばかりの小僧。
いちいち怒られ、怒られる事が知る事だった。
重い重いカメラと三脚を担ぎ近くの公園まで。家に帰れば肩には痣。
フィルムをミスなく詰め替える所作を取得する特訓。
学生時代に勉強してきた映像論など活かすどころではなく、毎日必死にただくらいつくだけであった。
 
頭の方もフルに使う。写真や映画は物理と化学の知識がいる。
それでなくても覚える事がたくさんあるのに、体も頭もフル稼働なのだ。
若くなければ出来なかったなぁとしみじみ思う。

まあしかしだ。
フィルムとはどんなもので、どういう機材がどういう役割を持つのか、
光とは何で、見えるものと写るものはどう違うのか、
本当の意味での基本を体得する事となったのは間違いない。
フィルムのストリップカーブ(露出テストの延長でグラフ化する事で特徴が見える)もスラスラ描けたし、
世にあまたあるレンズの特徴も実際に撮影映写する事で生きた情報をつかんでいた。
 
加えてレンズの関して言えば、当時、映画系はメーカー主体からオリジナル特注製作する方向にあった(しかも、なんと世界のビッグ3職人は全て日本にいる)。
つまり、レンズの構成から設計、ヘリコイド組み立てまで、全ての作業に立ち会う事が出来たのだ。
実測して導きだすT値(F値は理論上の絞り値)のテストも、行っていた。
 
寝る間もなく、次々に覚えなければならない案件に追われ心身とものヘトヘトになりながらも、
がんばってよかったなぁと思う。
今こうして写真で食べていっているそのベースに、この頃の修行がある事だけは確かなのだから。
  
次回、現場に出ていく時代の話を。
はやかなCM黄金期。
1流クリエイターたちがその才能を遺憾なく発揮するその現場で、
相変わらず最下層ながら奮闘していた時代である。

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