豪快キャメラマン

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僕、森谷修が23~24歳だった頃の話。
 
時はバブル期、CM制作会社の頂点に立った東北新社の社員だった。
撮影部に所属し、来る日も来る日も大きく重い映画のカメラ機材を担ぎ
徹夜が続く過酷な日々を送っていた。
予算は潤沢、一流と呼ばれる人々の集結、スケールの大きさ
刺激的な毎日に、ときめいていた。
 
ある日のこと。
長編CM撮影準備のため、一人のキャメラマンが撮影部に。
声のデカイ、日焼けが眩しい、万年青年風の方。
隣にお猿さんのような風貌の助手さんを従えていた。
 
この豪快キャメラマンさん達ご一行は
我が撮影部が所有する映画機材類をチェックし
使いやすいようにカスタマイズをはじめた。
助手さんは、我々が持ち歩く撮影小道具(修理道具も含めていろいろ持ち歩くのだ)の
2倍以上のグッズを持ち
その場で様々な工作をはじめた。
こちらも嫌いではないので
機材類のカスタマイズ法をお互いに話し
精一杯の協力をした。
歳も同じくらい。助手という共通点。
お互いをリスペクトし合うことが出来、気持ちの良い時間だった。
 
そんな中、豪快キャメラマンさんが
倉庫の奥に行ったきり帰ってこない。
呼びに行くと
あぐらをかいて座り込み
古いアリフレックスのレンズ群をご覧になっていた。
もう誰も見向きもしない古いツアイスのレンズ。
レンズマウントも古いタイプ(アリマウント)
絞りの枚数も3枚と旧式の中の旧式という骨董だった。
 
豪快キャメラマンさんは満面の笑み。
「森谷君、これがいいんだよぉー」
僕はこのレンズが使えるボディーアリフレックスBL1型を出し
セッティングした。
「フク、いいのがあたぞ!」
助手さんに話す姿は
宝ものを見つけた子供の様でもあった。
(後日、この機材のセット一式は、大友克洋監督映画の撮影にお供している)
 
現場でのリーダーシップぶり、撮る絵の迫力、屈託のない笑顔、
僕ら撮影部はみんなこの豪快キャメラマンさんのファンになっていた。
何度か現場にも応援に駆けつけ、同じ空気を吸える喜びを感じたものだった。
 
・・・・・・・・・
 
時は経ち、僕はスチール写真修行のため
映画CM撮影現場から離れ写真家個人への丁稚奉公に入った。
 
現場ではお会いできなくなったが
幸いなことに豪快キャメラマンさんは映画界で大活躍。
スクリーンやDVDで、そのお仕事ぶりをいつも拝見できた。
多くの映画監督が彼と組みたがり
日本映画界になくてはならない貴重な存在として
その名を知られるようになっていた。
 
伝説めいた話題の数々も
お人柄が良くみえてきて、ファンとしてはうれしい。
小さくまとまるんじゃなく
豪快に自分を貫く姿が伝説を生むんだと思った。
クレーンから降りない男。
何でも改造しちゃう人。
テストフィルムで映画1本分の予算を使っちゃう人。
 
「映画番長」という愛称、言い得て妙。
みんなの愛が感じられるね。
全てにおいて、大尊敬。
 
篠田昇さん。
 
最高の映画キャメラマン。
かわりのいない唯一無二の存在。
美しくせつない、けれど強い映像世界。
貫き通す強靱な意志の持ち主。
 
みんなが愛し、
早すぎる死に、みんなが涙を流した。
 

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