師と同じ目をもつ

mhpmw175

なんでもそうだろうが、写真で食べている者は
どこかで大変な勉強をしている。
大学の写真学科であれ、スタジオ勤務であれ、独学であれ
早々簡単なものではなかった。

私の場合、大学を出てCMの撮影部で修行をした後、
写真家の弟子となった。
大会社の社員というポジションを捨てての丁稚奉公である。
それ相応の覚悟を持っていた。
 
4人いる弟子のうち、最下層の4人目。
下働きから様々な事を経験した。
当時良くいわれたのは
技術はスタジオで学んでこい、弟子入りしたら先生から生き方と作法を学ぶのだ、だった。
(学校ではよき友を作れ、だったかしら)
 
私が強く意識していた事は
「師と同じ目を持つ」であった。

もちろんそんな事は不可能なのだけれど
どんな思考でどう撮って行くのか、
頭ではなく体得、または感得する事が最重要と考えていた。
 
同じ機材、同じフィルムを使っても
天と地ほどに違う出来上がり。
知識など屁にもならないことはいうまでもなかった。
 
私はとにかく先回りした。
先生が指示をする前に、先生の考えている事を実践しようとした。
ある状況では85mm、フィルターは25M、
レフは左サイドから。とか。
全部準備して、先生にカメラを手渡す。
 
いや、400mmでいこう。と鶴の一声があれば
即座に400mmを三脚にセットする。
背景の圧縮具合ボケ具合、被写体との相性、光のまわりぐあい
使用するページの想定。。。。
いくつもの条件が複合的に判断される。
想定と違えばそこで一つ大きな勉強の機会となる。
 
プリントもそう。
やり直しがあればその指示に大事な哲学が反映されている。
 
とにかくその繰り返しである。
 
皮肉として伝わるエピソードにこんなものがある。
いいよなぁ◯◯さん(大写真家)は。助手がみんなやって、シャッター押すだけ。
それで100万円だってよ。
なんとも表面だけしか目に入らない恥ずかしい発言だろう。
(コピーライターに向けられた1行何百万円発言に等しい)
本質が見えていない。
 
助手の目は、助手個人の目ではない。
師匠の目となって、全てが組んである。
そこまで弟子が育つ事は、経験上難しい事といえる。
並ではない。

私が1本立ちして後、ありがたいことに何人もの弟子志願者が門を叩いてくれた。
どうしても首を縦に振れず、こういう師弟の関係性は、今の時代にナンセンスだろうと説いた。
自分が育った道を、自分で否定していたのだ。
(物事には善し悪しの両面がある。悪い面を知っていればこその思いやりといえた)
 
長い年月を経て、今、考えが変わってきている。
比べてどっちが正解なんて答えは、そもそもないのである!
という根本原理が理解できる歳となって、
師弟という関係性の良い面が見え始めている。
 
本質を変えずに、今の状況に合った形で、何か出来るはずだ。
例えば、生業を持ち、生活基盤を安定させながら、とか。

よし。
 
やろう。

 

 

 

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